2018年6月4日月曜日

ジェンダースペクトラム

おっさんずラブというドラマにはまった。
はまったついでにこころの科学のバックナンバーを買ってきた。特集は「LGBTと性別違和。

以下ジェンダーについて考えさせられたことや思ったこと。

性別違和という言葉
今更ながら知った性別違和という言葉。自分の性別に対し違和感を持っている、という性同一性障害よりはソフトな表現がいつのまにやら登場していた。不勉強だった。たしかに、自分の生来の性別に不快感を感じるかどうかと、違和感を感じるかどうかでは意味が違ってくる。障害というマイナスイメージな言葉を取り除く意図もあるのだろうけど、より広義の意味にした点に有意義を感じた。今までは生来の性に対して不快感を持つ人に焦点をあてていたが、これからは違和感を持つ人にも視野を広げる、という社会の変化の表れだと思った。


一次元と二次元
ジェンダーの話をするとき、最初は下のような図式を頭に描いていた。

男———女

でも、それじゃどうもうまく説明がいかなくて分けてみた。

男性性 0———100%
女性性 0———100%

腑に落ちた。これならLGBTX全て式で表せる。女性っぽいからといって男性性が全くないということはない。その逆もまた然りだと思っている。

果たして自分はこの式で表すとしたらそれぞれ何%だろうか。また、他人から見た自分はどうだろうか。そう考えていると、なんだか前より自分のことを知れた気分になった。


連続体としてのジェンダー
例えば自閉症が、明確に区別することなくスペクトラム(連続体)として捉えられるようになったように、ジェンダーもスペクトラムである。そういう意味でこのブログタイトルにしてみた。性に境界線は最初からないし、引きたければ自由に引けばいいと思う。

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