心の病に関する本には完治という言葉があまり出てこない。
代わりに寛解という言葉がよく使われる。
完治とは「完全に治る」という意味である。
例えば、転んでひざを擦りむいたとする。擦りむいた傷口部分は次第に新しい皮膚がつくられていき、ついには完全にふさがれる。完治である。
一方、寛解とはその病気が見かけ上消滅した、又は症状がなくなった状態のことである。
例えば、癌では目に見える該当箇所を切除したとしても目に見えない部分へ転移している可能性がある。他の部分へ転移した可能性が0%ではない、言い換えると100%ではないので、完全に治ったとはいえないのである。
心の病気にもどちらかというと「寛解」という言葉がよく使われる印象がある。なぜか。
心が目には見えないというのは理由の1つだろう。果たして傷口が完全に塞がったのかわからない。
もう1つの理由として、再発しやすいというのもある。たとえ心の傷の原因となったものを取り除いたとしても、過去の記憶はなかったことにはならない。また、将来似たような状況に出くわすことも可能性としてはあり得る。可能性は0%でも100%でもない。
つまるところ、心に関してはまず致命的な傷を負わないことが大切と考える。
転んでできた擦り傷は時間が経てば痛みも痕もなくなるが、足が切断されたら容易にはくっつかないのである。
我々は、この環境はこれ以上続くと「ヤバそうだ」とか、そういう「ヤバい」という勘を敏感に感じ取り、致命的な傷を回避しながら日常を生きていかねばならない。なんだかサバイバルゲームみたいだ。
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